旅のエキスパート!ツアーコンダクターの「なるほど!海外旅行ノート」 - ジャルパックの厳選されたツアーコンダクター「スーパーTC」ここではスーパーTC達による、旅に関するよもやま話や添乗日記など、楽しい旅の話題をご提供します。

「中国のベストセラー」

2009年07月03日(金)

text by 洞 恵

日本人は「史記」、「三国志」など古来から中国史に親しんできました。
日本が史書に登場するのは中国の「魏志倭人伝」が最初ですし、中国史は日本人にとって、かつては教養でもありました。
中国にとって日本は周辺国の一つでしかなく、一般の人は日本史に関心を持つ人は極めて少ない状況だったと思われます。


その中国で、山岡荘八の「徳川家康」がベストセラーになっています。
近代化の道をひた走りしている中国的社会主義の名の下、私企業の育成にも力を注ぎ多くの起業家と企業家が育っています。
中国が開放政策を採り始めた80年代、経営の神様として松下幸之助が紹介され著書も翻訳されました。その著書の中で経営者が読まなければならない本として「徳川家康」が挙げられています。中国の出版社が翻訳、出版の決め手とした理由かもしれません。





創業期から成長期に入った中国の経営者たち(30代~40代)は、300年続いた江戸時代の基礎を造った徳川家康に経営の理想を見出しているのでしょう。
「鳴くまで待とうホトトギス」という考え方は新鮮だともいわれているようです。
経営に携わっていない人たちにとっても、戦国時代を生き抜く人々の姿、細かな人物の性格表現は、中国の小説にはない魅力的なものだと上海の友人は言っていました。





中国で話題に窮したら、「三国志」の話をすれば、盛り上がると言われてきましたが、これからは「徳川家康」が話題になるかもしれません。
中国出張の多い方は「徳川家康」を読み返すか大河ドラマのDVDを見ておくと話題に窮したとき、役立つことになりそうです。





もう一つ日本ではまだ公開されていないラブストーリー映画の舞台が北海道で、個人ビザの解禁も近い中国で、北海道旅行ブームが起こりそうな気配です。
在北京日本大使館では映画の監督や俳優さんを招待して感謝を表したそうです。
観光庁もいち早くイベントを催し、個人ビザ解禁に向け準備を進めているようです。



銀座には毎日、中国人観光客のバスが止まるようになりました。
中国国内は他の国を尻目に活気に溢れています。
日本人が中国に行く目的は古い歴史ではなく、今の中国のエネルギー、たくましさを目の当たりにして、元気をもらうことにつきるかもしれません。

この20年間、私は、中国をウオッチし続けて、今、一番大きな変化を体験しています。

わたしのブログはこれが最後となりますが中国との係わり合いは一生続くことでしょう。
更新の度に感想、質問を下さった方、ご愛読ありがとうございました。


 

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「北新疆の旅」その1

2008年11月14日(金)

text by 洞 恵

今回の私的旅行は、天山北路(昔は夏しか通れない道でした。)のそのまた北、ロシアの国境70km近くまで行く旅でした。辺境の辺境と言われているところです。
以前は外国人だけでなく、国内の人でも許可証がいる場所でした。





飛行場もなく、道は砂漠道だった20年前の南新疆の想定をして出発しました。
ところが、ここは石油が採掘地帯で立派な道路ができていました。
そしてゴビ砂漠やタクラマカン砂漠のオアシスよりも天山山脈の豊かな水源の恵みを受けていました。中国では濁っている水を見慣れた目には清水と黄葉、遠く見える雪山のコントラストには、息を呑みました。ウイグル族が最大人口の南新疆と違い、ハザク族、蒙古族、そしてロシア族と呼ばれている白系ロシアの人々が暮らしています。人口は少なく、手付かずの自然が残っている所に石油が出て道ができましたが、同時に自然保護区に指定されたおかげで、野生の馬、鹿の群れを見ることができました。

ウルムチから400km走行し、布爾津県(ブルチン県)に着きました。面積10,362平方キロメートルで人口はわずか6万人。砂漠の中のりっぱな道路は石油関係の車以外はほとんどみかけませんでした。
宿は少数民族集落の季節ロッジでした。国慶節のお休み(今年は9月28日から10月5日まで)が終われば、高地で寒くなる集落から、暖かい低地に春まで移動する準備も進んでいました。ブルチン県は美しいカナス地区があり、カメラ小僧の憧れの地であると、旅仲間となった台湾の天文写真家に教えられました。この天文写真家は、夜は零下の中で、星の写真を撮っていました。
私と旅仲間(北京在住の30代中国人グループ)は彼のお陰で、各地で真っ暗な道を星を見に行き、流れ星を堪能できました。集落が少なく、ビルなど一つもないので、夜は漆黒でした。空には星がはこんなにたくさんあるんのだと信じられない思いで、上ばかり見ていて首が痛くなりました。こんな旅の話を何回かに分けて書かせていただきます。


 

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「北京に滞在中」

2008年09月26日(金)

text by 洞 恵

北京に滞在中の洞です。
オリンピックの後半になって国内客がどっと押し寄せ滞在中の王府井はいっそう賑わいを増し、オリンピックグッズの店は身動きがとれないほどで、今朝のニュースではサンプルも売れてしまった空のショ-ウインド-が映されていました。北京の至る所にボランティアが立ち道案内をしています。どちらかというと素っ気ない、北京のタクシードライバ-が何各国語もの「こんにちは」をマスターして、サ-ビス精神を発揮しているのはいじらしいほどです。車の規制の対象外のタクシーは道も空いているので快適です。地下鉄では荷物検査がありますが、誰も文句を言わず長い列に並んでいます。駅にもボランティアが大勢いて、乗り換え案内に活躍しています。オリンピックの為、政府と国民が協力し不便も我慢し、皆がニコニコと嬉しそうにしている姿に会いました。




何人かの方からオリンピックで四川地震の被災者が忘れられるのではないか?というご質問をいただきました。昨夜のニュースでは被災地の(中国では9月が新学期)学生の学費免除、生活費の援助等が発表されました。困窮者への援助、ホットラインの開設、次々と発表、施行されるということです。農民への課税は既に全廃され、公共住宅のモデル住宅もニュースになっていました。環境問題にも真剣に厳しく対処する方針が強調されてあました。内閣支持率調査があれば他国の政府が羨む支持率が得られることでしょう。大きな、複雑な国ですから、施行後も問題は起こるでしょうが 「隣人の日本の方達の一早い援助と同情には心から感謝している。今までも多くの苦難があった。今回は政府が国民の為を考えてくれているので私たちも頑張れる。日本の友人達にくれぐれもよろしく。中国の変化を機会があったら見に来てください。」という被災地である西安の80才を過ぎた老教授の伝言をご心配頂いた皆さまへのお礼とご報告とさせていただきます。


 

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「ブルーポピーの生命力」

2008年08月15日(金)

text by 洞 惠

皆さま、コンダクターの洞 惠です。

四川大地震後、四川ツアーにご参加いただいた皆さまから、多くのご心配、御見舞い、お問い合わせをいただき、誠にありがとうございました。
日本からの電話インタビューに旧知の成都の旅行社の日本部長が答えていて、無事が確認できました。地震の直後から多くのお客さまから、「洞さん、日本にいてよかった、駆けつけては、だめよ!」「ガイドさんやドライバーさんは無事だった?」「パンダは?」というご連絡をたくさんいただきました、お問い合わせいたいただいたガイドさん、ドライバーさん、そのご家族全員、無事が確認できました。観光地の九寨溝、黄龍は無事とのことです。
飛行場がまだない頃に、成都から九寨溝、黄龍を陸路で往復した方、黄龍から陸路で成都まで戻った方には、車で通った思い出深い景色の変わり果てた姿に、驚かれ、現地の方たちにも心を寄せていただきました。
現地のガイドさん、ドライバーさんはツアーでお世話させていただいた方たちが、心配してくださり、日本からも暖かい援助があったことに対し、心温まり、とても感謝していると、お礼の言葉が送られてきました。日本の「困った時はお互いさま」という市民感覚が中国にまっすぐに届いた手ごたえがありました。
お客さまの中に阪神大震災の被災者で、土木デザイナーをしていらした方がいらっしゃいました。建築の専門家の立場からの冷静な目と被災者と言う経験に基づいた被災後のアドバイスを被災地の方に伝えて欲しいとのご依頼をいただきました。
中国語新聞に近く掲載されることになり、現地にも送付させていただき、経験のないことなので、とても感謝されました。地震国である私たち日本人も知っておくべきことだと、町内会や地域活動に携わっている方たちにも好評でした。
建築の専門家でもある被災経験者のアドバイスは、地震の経験の無い現地には役に立つと歓迎されました。
ご本人も多くの方にを共有していただきたいというご希望で、ここに転載させていただきます。

私は、言葉もできず、右も左も解らない初めての中国で、知り合いや友人であることの前に、「困っている人がいる」と私に手を差し伸べてくれました。その時々に、手を差し伸べてくれた人にお礼をするのは無理なこと、私が出きることがあれば、誰彼を問わず助けることが、そのお礼になると思っています。もちろん中国だ日本だという国を超えて全ての人、場所に言えることですが。

話し変わって、伝えられるならですが、Zさんたちに経験者からのアドバイスです。
*まず必ず建物の強度に気をつけるよう にしてください。見掛けはしっかりしていてももろくなっていて、余震や風雨で数ヵ月後に崩れたりします。日本では、いち早く建築士が現地で建物の危険度をチェックし、二次災害を防ぎますが、中国では自身で身を守らないとだめでしょう。
* コンクリートでも横に入ったひびは特に危険です。素人判断はできません。
* ガス、電気、水道は、復旧したあと気をつけないといけません。見えないところで亀裂が入っていたり、漏電したりして、人がいないのに火災が発生したり、ガス漏れがおきます。うちのすぐそばで、被災から3ヵ月後くらいに突然水道管が破裂しました。ガス臭いなとか、焦げ臭かったらすぐとりあえず避難すべきです。
*この点が最も重要です。怪我はなくても、自覚の有無はともかく、心には大きな傷を負っています。地震前の自分とは違っていることを自覚し、とにかく今年はあせらないことです。今は何についても必死であまり感じませんが、目前の危機が落ち着きだしたとき、逆に将来のことや友人のことなど様々なことで不安感、無力感が襲ってきます。少しの揺れや物事でも敏感に反応する自分がいることにも気付くでしょう。デマも頻繁に飛び交い、より不安が増します。喪失感、取り残されるではないかと言う焦燥感。精神的につらいのがこのごろです。必ず復興すると信じ、自分を信じてください。

まだまだいっぱいあるのですが、今は救助のプロを受け入れると共に、先々では、メンタル面を含めた復興の専門家を受け入れてほしいです。人は多くいても、専門家でないとだめでしょう。
洞さんは、医者の役割はできなくても、直に情報がとれる人材です。国や人の関心が薄くなり、落ち着いてきたときのフォロー(本当にその人が必要とするものや励まし)をできるのは私たちです。その橋渡しができるではありませんか。災害は今何かすることより、数ヵ月後から始まる救助もある長期戦ですよ。
舌足らずな文になりました。万感の思いが文章をまとめさせてくれません。失礼します。

私は地震の後、無力感に襲われていました。こうした多くの方の励ましで、安否の確認、情報収集、連絡、所属している中国勉強会での募金活動に従事することで、自分自身も落ち着きを取り戻すことができました。
今の時期は四川の四姑娘地域で、幻の花ブルーポピーが咲くころです。ブルーポピーは崖にえさを求めるヤク(牛の仲間)も登れない4000M以上のところに咲きます。
低い所に咲く赤、紫、黄色のポピーはヤクに食べられることで、子孫を増やそうとしています。
幻の花ブルーポピーはより自然条件の厳しい所で、蕾はとげで身を守り、人に見られることも少なく、青い花を咲かせます。その姿は気高く、生命力に溢れています。
このブルーポピーのように、四川の方たち、中国の友人たちが立ち上がることを信じております。「また、行かれるようになったら、あの人たちに会いに行こうな。」という暖かいお気持ち、物心両面で、何かしたいというお心は、伝わりました。これからもご希望者には現地情報を発信させていただきます。
中国の友人たちと共に皆さまのお気持ちに厚く御礼申し上げます。
非常感謝。


 

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麗江その1

2008年07月25日(金)

text by 洞 恵




中国中心に添乗している洞恵です。
ボランティア日本語教師の友人を訪ねて麗江に行ってきました。(7年ぶりでした。)
居心地がよくて、結局9日間、麗江とその周辺に滞在してしまいました。
文化遺産である古城エリアの古民家を改造した宿屋さんで(中国式B&Bというとかっこよすぎますが、、、)にお世話になりました。長期滞在者が何人かいるので、下宿屋さんのような雰囲気でした。(長期滞在者の一人が日本語教師の友人です。)

古城(中国語では古い街の意味)は、少数民族ナシ族の町ですから、今でも住人はナシ族が多く年配の婦人は昔通りのねんねこを、しょったような民族衣装で暮らしています。早朝の街角は観光客相手の店はまだ戸を閉ざし、朝ごはんの豆乳や油条(揚げぱん)を買いにのんびり人が歩く住民の時間でした。宿屋で、朝ごはんを用意してくれるのについ、人が買っているのでつられてバーバー(お焼きのようなもの)を買ってしまい、食べ切れなくて、もったいないがりの下宿の老夫婦を苦笑させてしまいました。
老夫婦は南京大学の理科系を出たインテリで、退職後、景色と水と人のよい麗江に移り住み、ナシ族の大家さんから、この家を借りて、宿屋を始めたのだそうです。

ご近所は親戚のように親しくしていて、隣の幼子や犬が我が家同然に出入りしている、懐かしい暮らしぶりでした。道が入り組んでいて、迷子になりやすいのも、治安の良さに貢献しているようです。住人たちは気さくで、親切でした。ナシ族の焼き芋売りのおばさんは「観光客が来るようになって物価が上がったから、高い焼き芋で悪いね。」とすまなそうに焼き芋を新聞紙にくるんでくれました。1元でした。

三眼井(3つの目を持つ井戸)は、飲み水用、野菜洗い用、洗濯用に水場が分かれていて女性たちが、文字通り井戸端会議をしていました。男性も見かけましたが、恐妻家の漢民族では?と思ったりしました。ナシ族は女性が働き者で、男性は何もせず、たむろして、タバコをふかしているというのが昔来た時の印象でしたので。

茶馬街道のたて看板を見るまでもなく、ここが雲南から、チベットにお茶や生活物資を運んだ、西南シルクロードであったことを思い出さずにいられません。人通りのない道に一人立っていると、馬の蹄と馬子の声が聞こえるような気がしました。
それなのに、ヨーロッパ風カフェがどの町より早く、たくさんできた町でもあります。
清末にヨーロッパの動植物学者や探検家がやってきて、著作が多いので、以前から、ヨーロッパ人の個人観光客が多いうえに、雲南はコーヒーが取れるのです。
最近、日本でも、雲南コーヒーを出す店もあるそうです小さな文房具屋さんで、外国人とわかったらしく「YES,MAM」といわれ、びっくりしました。北京や上海でもない経験でした。実際にはフランス人が多いのだそうですが、中国でも外国語は英語が主流だとフランス語が堪能な友人は残念そうでした。宿屋さんにフランス人が来るのを楽しみにしているようでした。彼女のフランス人の友人が中仏関係史を勉強していて、梅里雪山のほうにフランス人の造ったカトリック教会があり、絶品のワインが作られているというので、ワイン好きの友人に下戸の私は説き伏せられ、2人で、車をチャーターして、出かけることになりました。その道中記は次の添乗から帰国いてから、また、書かせていただきます。
再見。


 

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「上海のおいしい小籠包のお店紹介します!」

2008年07月04日(金)

text by 梶原 礼子

今年の夏、中国で開催されるオリンピックということで、北京ばかりが注目を浴びている中、上海に行く機会がありましてそこで味わった本当においしい日本にないような小籠包専門店を今日は紹介したいと思います。
上海というと上海蟹が何といっても有名ですが、今回は季節が外れていることもあり、ほかに何かおいしいものはないかと探していたところ、小籠包の専門店があるとのことでさっそくその店に行ってみました。レストランの名前は南翔饅頭店という名前です。豫園という美しい明時代の庭園内の池のそばにあり、まわりは下町の雰囲気を残しており土産屋、専門店等が集まっている一角ですごく混雑した中にあります。3階建てのお店なのですが1階は持ち帰り専用でガラス越しに小籠包を作っている様子が見られる一方たくさん行列ができています。2階、3階がレストランですがこちらも予約をとらないので常時行列ができています。

ですが、外国人(特に日本人)専用の並ばなくてもよい抜け道の方法があるのです。現地の人が並んでいる中、とりあえず3階まで上がっていきます。そこに店員で日本語が分かる人が少しいますのでそちらの人に日本人と言えば、ひとり100元(たまに150元といわれる場合も・・)使うならば並ばずすぐ席に案内してくれると言われます。特別料金がかかるわけではないのでこれは即OKすべきでしょう。そして席に案内されたら日本語で書かれたメニューを持ってきてくれます。飲茶メニューもあるのですが、ここはぐっと我慢してせっかく小籠包の専門店なのですから小籠包のページからいくつか選ばれたらいいかと思います。日本ではそんなに種類がないのですが、海老、ふかひれ、松茸、野菜、カニみそなどの珍しい小籠包がたくさんあって、すべてせいろに6個ずつ入りで大体 35元から50元位です。1元が約15、16円位ですのでこれは日本に比べて本当に安くておいしくてお勧めです。ちなみに営業時間は朝8時位から夜7時位までやってます。住所は豫園路85号です。上海に行かれたらぜひ何種類もの小籠包を試してみてください。


 

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「上海モダン 」

2008年02月29日(金)

text by 洞 惠

コンダクターの洞惠です。
ちょっぴり残念ですが、上海外灘(バンド)の代表的なホテル「和平飯店」が今年4月から閉鎖されています。
前回、和平飯店のアールデコの内装の中でコーヒーを飲んだ時に、「いずれ、外資が入って改修されるだろうから、もう一度泊まっておかないと、、、。」とおもっておりましたが、間に合いませんでした。アラブの石油資本が買い取り、リニューアルするそうですが、懐かしのオールドジャズバンドも復活して欲しいものです。
私は日本のジャズは戦後広まったと思っていましたが、「上海経由で、昔からあったよ。」という方にも会いました。そういえば、日本ジャズを代表する秋吉敏子も中国生まれで、中国でピアノを始めたそうです。性格は大陸的とテレビで、語っていました。つかこうへいの「上海バンスキン」は和平飯店をロケした、日本人ジャズマンの映画と舞台でしたね。
日中国交回復前後の代表団や一部の人しか中国に行かれなかった頃、外国人用の高級ホテルは少なかったので、その頃、「和平飯店」に宿泊した方も多いのではないでしょうか。
80年代、まだ外国音楽が解禁されていない頃にも和平飯店のオールドジャズバンドは健在でした。
戦前の上海のほうが国際情勢に翻弄される反面、ビザ無しで、入国できるコスモポリタンの街だったようです。東洋のパリと呼ばれ、多くの日本人が上海で、映画で見るしかなかったヨーロッパの香りを感じたといいます。洋館が立ち並ぶ外灘(バンド)はヨーロッパ建築の博物館とも呼ばれています。
旧フランス租界にあるホテルオークラ本館は旧フランス倶楽部でしたし(2階の宴会場のステンドグラスは、当時のもので、アジア一です。)向かい側にある老錦江飯店も和平飯店と同じ、ユダヤ系富豪のサスーン家のものでした。
広い庭園を持つ瑞金飯店は、三井財閥の迎賓館だったそうです。革命後は中国要人の迎賓館となり、毛沢東や周恩来が泊まった部屋が、今もそのままになっていますし、予約も可能とのことです。別館は、おしゃれなタイ料理やベトナム料理のレストランで、駐在外国人やおしゃれな上海人でにぎわっていました。本格的な味で、中華っぽいのでは?という私の予想は嬉しく外れました。
フランス租界で最も豪壮な邸宅は実は日本人実業家のものであったと、フランス租界を何十年もカメラに収め、持ち主の記録をライフワークにしている老上海から聞かされました。
偶然、その持ち主だった方の家族を探すお手伝いができたことは忘れることができないでしょう。
その邸宅は文化財として残る予定です。その持ち主の日本人は圧迫されていた中国人の精神的支柱だった文学者魯迅やその庇護者内山完造とも、深い親交があったようです。国家間の争いも、人間同士の友情を壊すことはできなかったのですね。
昨年、ベルリンで、「上海モダニズム」という美術展が開催され、1920~30年代にヨーロッパに留学していた中国人画家の当時の作品が注目を集めたそうです。
ちょうどその頃は日本は大正ロマンの時代とも重なります。
今年はパリで、日本の基金で、アジアンモダニズムをテーマに藤田嗣治などパリで活躍した日本人画家と中国人画家の作品展が開催され、好評を博したそうです。
私は10月にロシアに行きましたが、日本研究者でもあるガイドさんは印象派の絵が好きで、印象派に影響を与えた浮世絵の国、日本に興味を持ち日本語を専攻したということでした。未知の国や古い時代への憧れは、いつも人間を突き動かすものなのでしょう。
フリータイムで、上海に行く方には、「上海モダン」や「大正ロマン」をテーマに上海を楽しんでいただきたくのもおすすめです。
ついでに、四川北路の工商銀行の2Fの内山完造と魯迅の記念室を覗いていただけたら、と願っております。再見。


 

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チベットのラサへ

2007年12月28日(金)

text by 石山 剛


チベットというと、どこの国かと思い浮かべるかと思います。まぎれもなく中国です。ラサは“チベット自治区”となり日本人はビザは入りませんが、「入境許可証」というものが必要となります。通常は中国の旅行会社に依頼して取得するもので、パッケージツアーに参加の場合は各旅行会社で取得します。個人旅行の場合はラサへの航空券の予約と共に、「入境許可証」をチベットへのゲートウェイとなっている中国の旅行会社で手配するのが一般的です。但し、この「入境許可証」は今後、廃止される予定があるので確認が必要です。

ラサへは日本からの観光客が年々多く訪れています。1994年にユネスコの世界遺産となった“ポタラ宮”があまりにも有名だからでしょう。まさにラサの象徴で約300年にわたってチベット文化圏における宗教と政治の中心地でした。高さ115mの小高い丘の南斜面に建っているダライラマの宮殿です。
現在“ポタラ宮”は建物の保護のために入場制限が行われています。入場希望日の前日から予約券が発行されます。JALPAK社が依頼しているラサの旅行会社は何日も前から予約券を受け取るために並んでいます。ラサを代表する夏祭りのショトン祭(今年は8月12日~18日)の前後は混雑しています。個人で行かれた場合は時間が無駄になるので、旅行会社に手数料を払ってでも代行してもらうことをお勧めします。但し、入場できるかどうかの回答は前日の夕方以降になります。尚、“ポタラ宮”の入場にはパスポートが必要ですのでお忘れなく。
かつては“ポタラ宮”の入口近くまでバスが上がることができましたが、現在はバスが上がることは禁止されており往復共に自分の足で登り下りしなければなりません。宮殿の中は急な階段も多いので履きなれた靴が必要です。

ラサは標高3650mの高地。観光には高山病対策が必要です。観光中は無理をせずゆっくり歩きましょう。JALPAKのツアーで利用するホテルには医務室があります。また、JALPAKのお客さま専用の医師がラサ市内で常時待機しているので安心です。高山病の症状で頭が重かったり、熱っぽかったり、吐き気がある場合は注射や点滴や酸素吸入の処置で、ほとんどの方が半日後には回復しています。
旅行する季節の選択も重要なポイントです。ラサの6~9月は雨期で、それ以外は乾季となります。雨期は草が緑となり酸素が多い季節です。高地は低地に比べて酸素が少ないので、低地に住んでいる我々は酸素が多い時期は高山病に対してもとても楽に旅行することができます。

チベットの旅行の際には必ず海外旅行傷害保険には必ず加入して参加下さい。クレジットカードでの保険の方は補償内容に「疾病」が含まれているか確認して下さい。併せて現地での保険会社の緊急連絡先も出発前に確認する必要があります。
ラサでは保険に加入されていても、キャッシュレスでの診察はほとんどできません。一旦、治療費を立て替えて日本に戻ってから保険の請求することが多いようです。点滴と酸素吸入で1,000~1,500元(日本円で15,000~22,500円位)かかります。

高山病の心配もありますが、“雲上の聖地ラサ”にぜひ訪れて下さい。


 

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「史記」の世界の王朝街道

2007年11月30日(金)

text by 洞 恵

この夏は3年ぶりに「王朝街道」にいきました。
前漢時代に司馬遷が書いた「史記」は、古代ギリシャのヘロドトスの「歴史」とともに、最初に書かれた歴史として、あまりにも有名です。日本でも史記にでてくる物語を題材にした小説が多く見られますし、漫画もあるのには驚かされました。


「函谷関」に行ってみたいという方が多いのは「史記」の中の孟嘗君の故事や「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず。」という歌が、日本人に染み付いているからでしょう。
清末に甲骨文字が書かれた動物の骨が竜骨として漢方薬局で売られていて、それを発見した学者によって、解読され、殷王朝の現存が確認されました。「史記」に書いてあることが実証されたのです。河南省安陽で殷墟が発掘され、今も発掘、研究が続いています。
王が亡くなると、多くの人が殉死しましたが、馬車が御者や馬ともにそのまま埋葬されています。多くの副葬品とともに、目の前に三千年目の世界が広がりました。
歴史は脈々と続いているのに、どこかで、忘れ去られ、記録によって、再認識されるものなのですね。三千年前に生きた人々の息吹を感じ、そして、この三千年前の世界にいざなってくれた司馬遷、宮荊という死よりも恥ずかしい屈辱に絶えながら、「史記」を書き上げた司馬遷をおもわずにはいられません
現代社会に生まれた幸福の一つは、こうした世界に誰でもおとずれることができることではないでしょうか?この殷墟とポンペイ遺跡に初めて行ったときは体が震えました。


司馬遷は、前漢時代に各地にフィールドワークを重ね、当時の古老の話を収拾したと言われています。彼のライフワークは多くの人に読まれ、研究されつづけ、当時はその存在さえ、定かでなかった日本の私たち子孫たちにも大きな影響を与えています。
彼の仕事の偉大さに敬服いたしました。
参加されたお客さまも、同じような思いの方が多く、お互いに何を読むべきか、情報交換なさったり、日本に帰ったら、また勉強しなおしだ、と言う方が多く、私も触発されることの多い旅でした。
3年前に2回続けて、「王朝街道」に参加してくださった女子大生がいらっしゃいました。
その後、中国語も上達し、一人で、何度も中国の大好きな墓めぐりをしていらっしゃいます。
今年、「楚辞」をテーマに修士論文を書いていらっしゃいます。
中国のお墓、出来たら、秦の始皇帝陵の発掘に参加できたらと、夢を語ってくださいます。
殷墟が実在したと言うことは「史記」に書いてあるように本当に始皇帝陵の中には水銀の川が流れているかもしれない、きっと、ありますよ。と会うと会話が弾みます。
嬉しい出会いで、子供のいない私は、その方が、が学者として成長していくのを楽しみにしております。
今回も、唯一、盗掘されていない婦好の墓や殷墟研究所を訪れることができました。
研究員の方は修復については、話し出したら止まらないいといった様子で、この方も、歴史に魅入られた方でした。
現実を離れ、三千年前を訪ねると、自分が、くよくよしていることなど、つまらないことだなと思えるとおっしゃった方がいらっしゃいました。
世界遺産にもなった「殷墟」で史記の世界を実感してはいかがでしょうか?



 

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「北京散歩」

2007年10月12日(金)

text by 洞 恵

7月に第二の故郷である、北京に滞在し、実家同然の学生時代のルームメイトの家に滞在していました。中国人の中で、生活したのは5年ぶりでした。

スーパーの野菜売り場には「緑色」と呼ばれる、オーガニック野菜が、並び、買い物客は品定めに余念がありませんでした。「清潔」を売り物にした、庶民的な食堂も多くなりました。
オリンピック効果なのでしょう、「列に並びましょう!」が提唱され、バスや地下鉄の混雑時には交通整理が現れ、学生たちは老人や子連れ客を先にしてあげたり、横入りの人を注意したり、20数年前の留学時代、乗降客が譲らない押し合いへし合いの末、バスのドアからはみ出して、何度も落ち、手の甲に今も傷が残る私には「感動的な風景」でした。

フリープランでを利用して、北京に10日間滞在したお客様から、「とても、親切で、気持ちの良い街でしたよ。」の言葉に、好きな場所ではあっても、?だった私でしたが、オリンピック効果を素直に喜びました。
先のお客様は10日間、地下鉄だけを使って歩き回って、とても楽しかった。「暮らすような旅」をと、今年は中国語を習って、上海に滞在なさいました。VCDの見られる機械を、買って帰ったら、おうちのDVDにもソフトがついていたんだと笑っていらっしゃいました。

使いやすい地図が無かった中国ですが、北京にはマップルと共同で作った地図帳を売っていました。その地図にもおおざっぱにしか載っていない北京人民政府の付近が私の昔の散歩コースでした。官庁街のおかげで、そこだけは昔のままです。緑化が進み、庶民の憩いの場として、遊歩道もベンチも整備され、老北京と一見してわかる市民たちが、夕暮れの散歩をのんびり楽しんでいました。

建設ラッシュで、めまぐるしい変化が報道されていますが、こんな生活と風景も残っているのです。
北京飯店の前の地下道を渡ってすぐの正義路(地下鉄駅は天安門東からすぐ。)周辺は信松の大使館街で、往時の洋館が立ち並んでいます。旧正金銀行というプレートの建物は東京駅によく似ていて辰野金吾式の建築と思われます。

浅野次郎氏の「蒼穹の昴」の舞台となっている、大使館街、六国飯店(現在は華風飯店)も健在です。私がぶらぶらした日には、近代史専攻のフランス人学生グループと韓国人学生グループがカメラとメモ帳片手に熱心に、1棟1棟確かめるように見て回っていました。

フリータイムツアーを利用して、「暮らすような旅」に挑戦してみたら如何でしょうか?
私もそういう旅を提案できるように心がけたいと思っております。
そういう地道な交流が、両国の溝を埋める方法のように思います。


 

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「花椒(さんしょ)オイルを作ってみませんか?」

2007年08月17日(金)

text by 洞 恵

7月は「世界紀行 西安と九寨江・黄龍9日間」に行きました。



高山植物


九寨江散策

今年は6月に雨が降り、水がっぷりとある、九寨江は青い水と新緑の神秘の世界、神仙池ではエーデルワイス、敦盛草、おだまきなどの高山植物をたくさん見ることが出来ました。
黄龍は全員が、3600mの頂上の展望台で、のんびりと黄龍全体を見下ろすことが出来ました。


景色は写真で、持ち帰れますが、何とかその土地のお味も持ち帰りたいものです。
私の四川でのお薦めは花椒の実です。
収穫は9月なので、花椒畑の赤い実もまだ小さいのですが、この時期に売っている乾燥させたものでも、十分な香りです。
日本で鰻に付いてくる山椒とはだいぶ違います。
爽やかな刺激があり、おなじみの四川の麻婆豆腐は唐辛しの辛味に花椒のしびれが無ければ、本場の人たちは納得しません。
日本人にはそのままでは刺激的すぎますので、おいしく食べるアイデアがいくつかあります。



山椒


九寨江散策


花椒オイルの作り方
冷たい油(サラダオイル)の中に花椒をいれ、火を付け、煮立てます。煮立った所で火を止めて、しばらくそのままにして、花椒の香りをオイルに移します。刺激的なほうが良い方はそのままいれたままにしておくとよりおいしいです。
この花椒オイルで、炒め物をすると本格的四川炒めが出来ます。
白身魚を蒸して、このオイルを煮立てたものをちょっぴりたらすだけで、四川風蒸し魚のできあがりです。

今回思いついて、ゆで豚を作る時に花椒を使ってみました。

材用:紅茶ティーパック、長ネギ、しょうが、日本酒、醤油少々。

これをすべて水に入れて、沸かしたところで、よく塩を刷り込んだ、豚のもも肉の塊を入れて、煮豚にしていたのですが、これに花椒を加えてみたら、大好評。
夏にぴったりで、冷やし中華の具によし、ビールのおつまみによしでした。フリージングして置けるので、火の前に立ちたくない夏には大助かりです。
このアイデア、料理研究家の先生にも「いいじゃないの。」とほめていただきました。
でも四川の本場の花椒でなければ、この味はでません。
9月には花椒は収穫の時期です。いつだったか収穫中の畑で売ってもらったこともあります。9月には本物の香りの花椒が手に入るはずです。
緑と青の九寨江、神仙池、黄色いパムッカレの黄龍を堪能して、花椒をお土産に、四川のお味をおうちで試してみてください。(花椒は5元分かったら、1年では使いきれないほどです。)
9月3日発のこのコースにご参加の方は、お楽しみに。


 

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「日本と中国の漢字」

2007年06月29日(金)

text by 洞 恵

漢字はその文字が表すように漢の時代に確立され、日本に4~5世紀頃、日本に伝来したそうです。日本人は漢字から、ひらがな、カタカナを作り出し、訓読みを使って、日本語らしい表現ができるようになりました。

中国に行くと、他の国と違って、車窓から外を眺めているだけで、楽しいから、渋滞が気にならないとおっしゃる方がいらっしゃいます。お店の看板を見て、何のお店かわかることが多いからです。
中国は今、簡体字と言う発音を基準に字を簡略化したので、日本人にとっては?と言うこともありますが、前後の漢字から、推測できることも少なくありません。昔、漢字を使っていた、ベトナムと韓国は漢字を使わなくなり、今は日本と中国だけが漢字を使う国です。

明治維新によって、日本は唯一アジアで西欧的近代化に、成功しました。
アヘン戦争後、近代化の必要性を知った中国から、かつて遣隋使、遣唐使を送っていた日本にこんどは多くの留学生がやってきました。魯迅、周恩来、郭抹若など、中国で現代中国を代表する文化人、政治家もその中にはいました。国父と呼ばれ、尊敬されている孫文も日本に亡命して、宋慶齢夫人と新婚時代を過ごしました。映画「宋家の三姉妹」をご覧になった方も多いことでしょう。孫文は亡命生活で多くの名を使っていましたが、その一つ「孫中山」は中山というお世話になった日本人の名から付けたと言われています。

日本は近代化を推し進めるために、ヨーロッパの思想や制度を大急ぎで、取り入れるため翻訳が急務となりました。
社会、思想、革命、自由など、社会科学に関する言葉の多くは日本人が漢語に翻訳して使っていたものを、中国留学生が中国に持ち帰ったものがほとんどです。日本人が翻訳した本を、中国語に翻訳した本も少なくありません。漢字で書かれていると、すべて中国から来たものかと思うかもしれませんが、日本から伝えたものもあると思うと、街の看板を見るのがまた、楽しくなると思います。

私は、奈良の「正倉院展」に行くのを楽しみにしていますが、去年、大銅鏡を見たとき、鏡のすばらしさよりも、日本で作られた木製で絹布を張った、美しい鏡の箱に強く打たれました。当時の日本人が、どんなに中国から頂いた大銅鏡を、大事にしていたかその朱の色が目に沁みました。北京で、中国美術史を学んでいた時、中国の教授が「日本人は中国が捨ててしまったものや無くしたものを大切にしている。」と言われました。宋の時代に中国から伝わった、お抹茶や仏教と共に伝来した生花は今の中国にはありません。宋代の絵画の中に描かれている茶せんを見て、用途がわかったのは日本人留学生だけでした。日本人が好む淡い色は宋の時代の色彩感覚に非常に近く、日本にある宋代の絵画は中国よりも多く、青磁、白磁、天目茶碗は日本人は日本的なものと思い込むほど、日本の美感覚になっています。現代の日本人は、元、明、清と王朝の交代と共に変化した中国人より、文化的には宋人の末裔と言えるかもしれないと、言った先生の言葉を時々思い出します。

中国の旅で日本の文化を再認識して、日本で中国には今はない唐代の木造建築(奈良、京都)や宋の牧渓の絵を見ることが出来て、とても幸せだと思っています。


 

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「人との触れ合い」

2007年02月26日(月)

text by 洞 恵

新しい年ももう2月に入りますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?

今年の中国の春節(旧正月)は2月18日です。

世界中の中国人が故郷目指して帰国しますし、国内の交通混雑も日本の終戦直後の買出し列車のようです。

中国人は家族との絆をとても大切にしますし、親孝行で、春節に帰郷しないなんてとんでもないことのようです。

去年の10 月、数年ぶりに三峡クルーズに行きました。その報告ですが、今回は観光地のお話はありません。人との触れ合いのお話をしたいと思います。今回はヨーロッパの河船会社の船「センチュリーサン」に乗船しました。船のスタッフは全員、英語を話し、欧米式のサービス訓練がされていました。英語もうまく、欧米ナイズされているように見える彼ら同士の中国語の話の内容は、シーズンが終わったら、両親に何をお土産にしようかなど話していて皆、親思いでした。親の苦労を良く知っていて、感謝している様子が良く見えました。儒教の国のこどもたちでした。

荊州の希望小学校(貧しい家の子が授業料なしで行かれる学校で、この学校は船会社のあるドイツの援助でした。)に見学に行ったときの地元ガイドさんは中国人用のガイドさんで、中国語で外国人を意識しない飾らない話をしてくれました。

彼女の村は貧しく、高校にいける子も少なく、高校卒業後、専門学校(旅行学校)に進学できたのは彼女一人だったそうです。〔27 歳〕、今は大学に行かれる子が何人もいるとのことでした。とても両親に感謝していて、謙虚な優しい、昔の日本女性のような人でした。中国の農村の貧しさや、都会との格差を率直に正直に話してくれました。農村の子は朝早くから、家事をして小さくともいつも農作業を手伝っていたと言う話を懐かしそうにしてくれて、60代中心のお客様は、日本もそうだったんだと言いなさいと何度もわたしにおっしゃり、日本がいつか来た道を確認したような雰囲気で、言葉は通じなくとも、お客さまの励ましはガイドさんに通じました。

とても礼儀正しく、心使いが細かく、都会出身の日本語や英語のガイドさんとはずいぶん違うと中国慣れした方々の間で、後々まで話題になりました。

私は希望小学校の見学は子供たちとお客さまが交流していただくのが楽しみな反面、ツアーの中に組み込んで、(船の方針とはいえ)いることに正直少し、抵抗がありました。でも、ガイドさんは「ぜひ見てほしい、途中の村の本当の様子も知ってほしい。」と言ってくれました。また、上海人の友人は「色々な人がしょっちゅう見にいけば、援助のお金の使い方が明朗になるのだから、ぜひいくべきだ。」という意見でした。

私たちに日本人グループは、欧米グループとは別に小学2年生の教室に行きました。

子供たちは当然緊張していましたが、グループの長老格の方が、日本語で、優しく語りかけた気持ちも伝わり、お土産の文房具も効いたのか、すぐ、子供らしくわーわーきゃーきゃーと本領発揮となりました。美術家のお客さまに教壇に立っていただき、日本の折り紙教室を開催しました。一番簡単な飛行機ですが、飛ばしっこがはじまったとたん、さらに大騒ぎとなり、余りの騒ぎに、他の教室の見学に行っていた欧米人グループも集まってきてしまいました。見かけによらず、手が器用なことが実証された日本男児の方は子供たちにもっと作ってと取り囲まれ、照れに照れていましたが、楽しそうで、皆さま、一生懸命に子供たちの要望に答えていらっしゃいました。帰るときに私はある女の子から、大事そうにしていた、髪飾りを無理やり押し付けられて「先生、また来てね。」と言われ、言葉に詰まりました。「origami」の評判は帰船してからも続き、欧米人乗客もほしがり、独自に開いた、手作りノート教室にはパッチワークを船の中でしていたアメリカ女性も加わってくれました。

日本人グループは人気者となり、テーブルに欧米グループが訪ねてくるようになりました。関東大震災のとき父親が横浜にいたから、横浜の人と話ししたいとか!日本はこれから強大となる中国にどう対拠するのか?とか、石油政策など、答えが難しいものもありましたが、なんとなく、別グループだったのが、すっかり打ち解け、うちのお客さまの結婚記念日のときは、他のグループのベテランご夫婦が次々とお祝いにテーブルにきてくださり、「我々は結婚何年で先輩だ。」とか言って、記念撮影大会、こちらは「ORIGAMI」の引き出物?を差し上げ、また大喜びされて、大いに盛り上がりました。各テーブルで乾杯してくれるので、記念日カップルは大忙しでした。

言葉が通じなくても、仲良くしましょうと言う気持ちは伝わりましたし、「なんとなく日本人はいい奴だな。とおもってもらえてよかったよな。」とおっしゃったお客さまの言葉が耳に残っています。この船には日系2世の男性乗客がお一人乗っていらっしゃり、同じテーブルで、夕食を召し上がり、久しぶりの同世代の日本人との日本語での会話に感激していたのも忘れられません。心は日本人のままの方でした。同い年のお客さまとアドレスを交換し、再会を約束していらっしゃいましたが、実現したら、素敵なことだと思います。

ドイツ人のレストランマネージャーも、巨体をかがめて、話を理解しようと勤めてくれて、お客さまにニックネームをつけたりして、笑いを取るまでになりました。後でお客さまが写真を送ったら、お礼の手紙が来ましたが、自分の名前に「さん」をつけていて、日本語教育には失敗したようです。

中国人スタッフは若いせいか、日本語対訳のペーパーを配っておいたら、挨拶はかなりできるようになり、積極的に覚えようとするスタッフもいて、向学心のある若者たちで、お客さまは先生を務めてくださいました。覚えた日本語、次回まで、覚えていてくれているでしょうか。

三峡クルーズに参加されて、折り紙を折らされたり、レディファーストをやらざるを得なかった男性のお客さまには日本男児の評判を上げるという成果を上げていただき、感謝にたえません。日本の男性はやるべき時はやる方たちです。頼もしく思いました。時々日本でも思い出していただけると奥様もお喜びになると存じますが。宜しくお願いいたします。

大先輩のコンダクターに、仕事を始めた頃「世界中の人がお互いを知れば、戦争がなくなるとおもってやってきたから、あなたはそれを引き継いで。」と言われました。小さな積み重ねですが、お客さまと共に進めたらなと思っております。


 

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三蔵法師が歩いたシルクロード古道

2006年11月14日(火)

text by 洞 恵

皆様こんにちは、ジャルパック中国専任コンダクターの洞恵です。
外国旅行の目的のひとつに、その国の歴史舞台に自分の足で立ってみたいという思いをもって参加する方も多いのではないでしょうか。中国の歴史人物の中で三蔵法師を知らない人は居ないでしょう。
私が20年前に、始めてシルクロードのトルファンの火焔山の麓に立ったとき、「西遊記」のお話の世界に入り込んだようで、うれしくてたまらなかったのを覚えています。「西遊記」で天界の火が燃え盛るのを、孫悟空が鉄扇公主の芭蕉扇で火を消し止め、三蔵法師一行は、九死に一生を得たという火焔山は、赤く、まさに火の山です。トルファンの夏の暑さは50度、地表は80度を越し、砂に卵を埋めるとゆで卵ができるほどといわれています。物語「西遊記」では孫悟空のキントン雲や如意棒で、旅の障害を解決できますが、実際の三蔵法師の旅行は、お供がいるとはいえ、乗り物はロバかラクダ。もし、三蔵法師一行が、夏にここを通ったとしたら、妖怪が火を燃やしていると思いこんだのもうなずけます。文明の利器、飛行機、汽車、車を駆使しての現代の旅行は、キントン雲より便利で快適だとおもいます。



三蔵法師がインドへの道すがら、トルファンの高昌国に滞在し、何日も説法したという寺院跡が高昌故城に残っています。華やかな交易の街の面影はありませんが、今も変わらない砂漠道を、驢馬車で大寺院まで揺られていきます。 土でできた寺院の中は日陰でひんやりとしていてどこからか、読経の声が聞こえそうです。高昌国王は三蔵法師を行かせまいと拘束しようとさえしたため、三蔵法師は断食して抵抗し最後は高昌国王が謝り、お供や食料を準備し帰国の際必ず立ち寄り説法をする約束で見送りました。三蔵法師は17年ぶりのインドから帰国の際、高昌国王との約束どおり、高昌国に立ち寄りますが、目にしたのは滅んだ高昌国の荒れ果てた姿でした。三蔵法師は高昌国の廃墟を後にし、瓜州(今は安西)に帰路をとりました。

そのシルクロード古道が、敦煌の街から楡林窟(世界遺産敦煌莫高窟の姉妹窟)までのゴビ灘を走る砂漠道路です。道路の両側のゴビ灘は砂利砂漠です。帰ることなく倒れた、名も知れない旅人のしゃれこうべも往時にはあったことでしょう。
三蔵法師は国を出てはいけないと言う国禁を犯しインドに行きました。この道は、17年ぶりの故郷への懐かしさと、刑が待っているかもしれないという不安を抱えた三蔵法師一行の帰路なのです。このあたりは5,6月の気温が上がる頃から蜃気楼スクリーンとなり、今年は山が3つ同時に見えましたし、大きなオアシスが前面一杯に出た日もありました。私はつい、三蔵法師一行の姿を探してしまいます。この敦煌―楡林窟の道は快適とはいえませんが、毎回「一番シルクロードらしかった」というお声の多いところです。

不安な三蔵法師一行は、皇帝をはじめ長安の人々から大歓迎を受けて凱旋将軍のように迎えられました。そして、三蔵法師は大雁塔の大慈恩寺(大雁塔がある寺)で、インドから持ち帰った千三百巻余りの経典の翻訳にいそしんだのでした。その経典を収めたのが現存する大雁塔で、その姿は唐時代のままで、ご覧になることが出来ます。日本人なら名前だけは知っている「般若心経」もここで、三蔵法師によって翻訳された経典のひとつです。

大雁塔の階段を「般若心経」を唱えながら登る方もいらっしゃるので、三蔵法師の影響の広さを思わずにいられません。三蔵法師は日本人にとって、「西遊記」のお話と共に最も近しい中国人といえるのではないでしょうか。


 

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シルクロードの旅 -その2-

2006年10月30日(月)

text by 樋口 一美

トルファンは、トルファン盆地にある砂漠のオアシス都市。夏は40℃以上の日が続くといわれる中国で最も暑い所として有名です。ウイグル族が支配した元、明代には“火州”と呼ばれていました。反面、冬の寒さは厳しく、降水量は年間20ミリ弱しかなく乾燥しています。この為良質の葡萄を産し、“ぶどう城”とも呼ばれる程トルファンの葡萄は有名です。ポプラ並木の至る所に地下水路のカレーズが走り、市内には葡萄棚のアーケードが目立ちましたが、6月末は葡萄の房はまだ小さかったです。残念!余儀なく“干しブドウ”をおみやげに買って帰りました。

 敦煌は皆様ご存知のとおり、世界最大の仏教石窟寺院、莫高窟が築かれた所です。莫高窟は、敦煌から南東に約25km、鳴沙山の断崖に約1,000年にわたり造営され続けたものです。全長:約1,700m、石窟の数:492とも735ともいわれ1987年ユネスコの文化遺産に登録されています。窟内にある多くの塑像、壁画は4世紀半ば(366年)から13世紀に至る約10世紀の間に作られたもの。最盛期の隋、唐の時代には合計300以上の石窟が造られたと言われています。長い年月の間に莫高窟の一部は砂によって埋もれていました。1960年代に大々的な修復が行われ、砂の除去と崩壊防止の措置がとられました。専門の学芸員の方の説明を聞きながら、一般窟(10窟)と、特別窟(第57窟、第158窟)の見学。特に57窟は、描かれている飛天や菩薩の美しさは、莫高窟隋一と言われているだけあり素晴らしいものでした。 更にご希望の方は、特別(有料)窟、追加見学していただきました。第45窟、285窟・・・一人200元。(約3,000円)第275窟・・・一人150元。料金は昨年の倍に跳ね上がっています。又、現地ガイドさんの話では、ユネスコからの指導で近い将来全ての見学がかなり制限される予定との事です。ご興味をお持ちの方、早めにお出かけいただいた方が良いと思いますよ。 今回、敦煌に3連泊でしたので、ツアーではあまり訪れない“楡林窟”(楡林河の峡谷の両岸に残る石窟)唐代壁画の傑作とされている所も訪れ、見学いたしました。

 道路は昨年、舗装された道路や現在も工事中の道路ありで、どんどん改良され良くなって“全身マッサージ”道はぐーんと少なくなる事でしょう。
マッサージと言えば、今回は敦煌で体験してみましたが、すごーく上手で疲れがとれました。中国の旅は、やはり歩く所が多いのでリラックスしてマッサージをしていただくと翌日又元気で頑張れる気がします。食事もある程度ガイドさんを通しリクエストができます。特別日本から用意してお持ちいただく必要はないでしょう。種類も豊富、かつ美味しいですよ。

来年の秋にもう一度、新疆ウイグル自治区を中心に旅をしてみたいと考えています。未知のクチャ、カシュガル、ホータン などなど。人々は皆素朴で心温かく、日本語を話すガイドさんも親切でとても協力的。スケールの大きなダイナミックな旅らしい旅にご興味をお持ちの方、是非ご一緒に未知のエリアを旅してみませんか? 実現できるととっても嬉しいです。お問い合わせをお待ち申し上げております!


 

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シルクロードの旅 -その1-

2006年10月27日(金)

text by 樋口 一美

皆様お久しぶりです、コンダクターの樋口一美です。
私は6月末、初めて『世界紀行 シルクロード横断の旅 ウルムチ・トルファン・敦煌・西安9日間』の旅に添乗する機会を得ました。中国は過去に何回か北京、桂林、西安、上海などの主要都市と三国志ゆかりの土地を訪れる機会がありましたが、「シルクロード」は初めての体験でした。ずーっと以前、中国専任コンダクターより、シルクロード=(イコール)クルシロード?ですよ。覚悟して出発しないと大変な目に遭いますよ!という断片的に聞いた話が頭の隅に残っていて、少々緊張して出発致しました。初日、北京からウルムチに移動の際、天候の理由で約4時間出発が遅れた時は先が案じられましたが、その後は順調で、大過なく旅程を終える事ができ、ホッと致しました。今回の旅で見聞した事、感じた事を少し記してみます。

 地図を広げますと、新疆ウイグル自治区の大きさにまず驚きました。中国国土全体の1/6にあたり、日本の約4.5倍の面積を占めています。しかし、そこに住む人々は全人口のわずか1.3%、約1,300万人余にすぎません。天山山脈の南に広大なタクマラカン砂漠が広がっているからです。
この不毛の大地に日本人が、夢と想像をかき立てるのは、いうまでもなく、奈良の正倉院の御物にかかわる東西交通路、長安からローマに至る古代の隊商の道=シルクロードがここを通っていたからに他なりません。「世界史展開の主軸」ともよばれるシルクロードの幹線の一つが新疆ウイグル自治区を通っていたのです。
 現在のウルムチは、石油、石炭を産する新興工業都市として、新疆の政治、経済、文化と交通の中心で、私達が滞在したホテルは町の中心に位置し、ホテルの29階の部屋から外を見ると、ニューヨークのマンハッタンの様に摩天楼が林立していて驚きました。 

月曜日はトルファンのお話をしたいと思います。(続く)


 

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長安の日本人

2006年08月31日(木)

text by 洞 恵

皆さま こんにちは、コンダクターの洞恵です。

中国でどこの街がいちばん好きですか?という質問に答えるのはむずかしいのですが、日本との繋がりを強く感じさせるのは『西安』です。初めて、西安の城壁(高さ約15m,全長約13KM)を見上げた時、想像以上の大きさに口があんぐりとなったのを覚えています。

唐の長安の城壁は現在の7倍の規模といいますから、国際的には草深き倭の國から来た日本の遣唐使はどれほど驚き、感激したことでしょう。
明治時代の日本人留学生はロンドンで地下鉄やガス灯を日常的に使う生活にカルチャーショックを受け、日本は追いつけるはずがないと鬱になった留学生も少なくなかったようですが、平安の遣唐使も同じようなショックを受けたのではないでしょうか。
唐の長安は当時、世界の文明都市、文化の華でした。巨大都市長安の人口100万人、そのうち1万人が外国人というのですから、グローバルな国際都市でもありました。
胡姫(ペルシャの美女、胡はペルシャを現し、シルクロードを西から東へとペルシャからもたらされた胡瓜、胡麻、胡弓などには胡の漢字が使われている。)のいるスタンドバーがもてはやされていたという西市の賑わいは、人種の坩堝が生んだ活気に満ちていたことでしょう。

唐では外国人も、役人の登用試験の科挙を受けることができたため、留学生が都の長安に集まり、シルクロードを通って駱駝の商隊が列を成し、各国の使節が訪れていました。そんな古代国際都市長安を、垣間見ることができるのが、現在の西安の陝西省歴史博物館壁画室です。この壁画室には乾陵(高宗と則天武后の墓)の陪葬墓の壁画の多くが保存されています。
たとえば乾陵(高宗と則天武后の墓)の陪葬墓、章懐太子(高宗と則天武后の息子)の墓の壁画「礼賓図」には不安そうな表情の外国使節団と、垢抜けて余裕さえ感じられる唐の中国外交官の姿が生き生きと描かれています。
日本の高松塚古墳の壁画は、則天武后の孫娘永泰公主の墓の壁画をお手本にしたといわれていますから、遣唐使の誰かが壁画や下絵を見て、参考にしたのかもしれません。平城京、平安京は規模は小さくとも、長安そっくりに造られています。長安と平城京の比較図の前に立つと、進んだ中国文化を吸収しようと悪戦苦闘した遣唐使がいじらしく、誇らしくも思えます。そして、あんなに遅れていたのにこの千年日本人はずっと頑張って、今は先進国と言われるようになったのだから、小さいながらもよくやったと胸が熱くなります。

西安に旅行するのでしたら、ぜひ、陝西省歴史博物館の壁画室に足を運んでいただき、遣唐使の見た長安を垣間見ていただきたいと思います。
 

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2006年8月 2日 (水)

2006年08月02日(水)

text by 洞 恵

こんにちは、コンダクターの洞恵です。今日は「中国の主食」についてお話させていただこうと思います。

「中国人の主食は何ですか?」よくある質問です。
南方は日本に稲作をもたらした地域ですから、もちろんお米ですが、北方は小麦です。小麦で作られた麺は私たち日本人も大好きですね。日本のラーメンの語源は中国語の拉麺(発音はラーメン)で、拉は、伸ばすという意味です。細く細く両手で拡げながら伸ばして、髪の毛のような麺をつくる実演をデパートやテレビで見た方もあると思います。あの動作が拉(ラー)なのです。中国語は動詞が先に来るので、伸ばす麺=ラーメンです。

日本の麺は長いものばかりですが、中国ではさまざまな麺に出会うことができます。

・刀削麺(とうしょうめん):練って寝かせた小麦の塊をグラグラ煮立った大鍋に、包丁で削ぎ飛ばし、ゆでる麺。肉味噌やスープで食べるしこしこ麺です。
・猫耳麺(食材に猫を使っているわけではありませんので、ご安心を。):猫の耳のような形に伸ばした麺ですが、パスタのような感じで、トマト味もあるのでイタリアンみたいと思っていたら、麺ロード?を通って中国の麺がイタリアに渡ったという説を主張する中国人がいました。

シルクロードの麺はトマト味で羊肉と辛いピーマンをたっぷり入れていました。パスタは中国がルーツかな?と思いましたが、腰のある太い手打ちうどんとも言えますし、日本のめんつゆもよく合います。でもイタリア人の友人はパスタは古代ローマにすでに存在していた(?)と言って譲りませんでした。

中国の小麦の主食で麺と双璧をなすのが、饅頭(マントウ)です。餡の入っていない中華まんの大きなものです。日本の中華料理屋の可愛らしい花巻とはまったく別物で、ひとつで私はお腹が一杯になります。餡は入っていなくても、噛むほどに味があって、毎日食べても飽きないから、中国北方の主食の王様かもしれません。最近はパンにおされ気味のようですが・・・。
トルコに”マントウ”という名前の餃子そっくりの料理があるそうです。作り方も水餃子と同じですが肉は羊肉で、茹でたマントウに、にんにく入りヨーグルトを掛けて食べるのだそうで、食べ方はだいぶ違うようです。ロシアにも水餃子そっくりのものにサワークリームや溶かしバターをつけて食べるそうですし、餃子ロードもあるのかもしれませんね。(笑)
焼餅、葱油餅、薄餅、も中国の北方では朝ごはんに良く食べます。もともとお米のない北方で餅とは、小麦をこねて薄く丸くしたもののことで、焼いた香ばしいお焼きが焼餅、葱入りクレープが葱油餅、何も入っていないクレープが薄餅と似ています。

国が違っても人は案外同じようなものを食べていると思うと、親しみがわきます。その国の食べ物が好きになるとその国も好きになるし、興味もわきますから、食べることは誰にでもできる文化交流です。次の旅行では何が出てくるかお楽しみに♪


 

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シルクロードとナンと葡萄 2

2006年05月26日(金)

text by 洞 恵

学生時代、ナンを作って3ヶ月後の冬にストーブで炙って食べる実験をしましたが、ちゃんと食べられました。砂漠旅行には欠かせない携帯食だったことでしょう。地方により、ナンも色々、砂漠の民はそれぞれ、故郷のナンが一番と言います。

トルファン(西遊記の火焔山のあるところ)のナンは小さめで厚く、ベーグルに似ています。


クチャのナンはシルクロードで一番大きく、薄焼きです。どちらも甲乙つけがたいおいしさです。東京の高級インドレストランのナンよりおいしいのではといつも思います。


羊のピラフ、ミートパイもわたしは好きです。シルクロードでは葡萄の葉を食べて育った羊は臭いがなく、良い匂いがしておいしいと言いますが、わたしも西域の羊を食べて、羊が食べられるようになりました。北京のウイグル族はラマダン明け(イスラム教の断食明け)にはカシュガルやトルファンから、羊を取り寄せて、お祝いします。他の地方の羊では味が違いすぎて、お祝いできないと言っていました。


秋のトルファンの葡萄の実のみずみずしい甘さは毎年、必ず、食べたくなるものひとつです。葡萄棚にたわわに下がっている葡萄の房、ひとつの房の中に自然乾燥した実と生の実が仲良く同居している光景は驚きです。これほど乾燥しているのに、ウイグルのお嬢さんは日本の男性たちがつれて帰りたいと言うほど美人が多いのは不思議です。


 

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シルクロードとナンと葡萄 1

2006年05月25日(木)

text by 洞 恵

皆さまはじめまして。ジャルパックのコンダクターの洞恵(ほらめぐみ)です。わたしは中国とその周辺国を中心に添乗しており、一番好きな場所の一つがシルクロードです。今回はシルクロードに関するお話をしたいと思います。

西安を起点として中国の新疆、クンジェラブ峠を抜けてパキスタンに抜け、インドを経てローマに通じているのがシルクロード。行く機会の多いのが中国側のシルクロード、新疆です。そして新疆の人たちが毎日食べているのがナンです。ナンは、漢の時代の遺跡からも出土されていて、ナンがオアシスの人々の糧として古代から変わらず、食されてきたことがわかります。ナンはベーキングパウダーのような膨らませる種が入っていないパンで、インド料理レストランでカレーとセットで出てきますからご存知の方も多いと思います。シルクロードの多くの街角でナンは専用の窯で焼きながら売っていますが、クチャ(三蔵法師がインドへの道すがら通った街)やカシュガル(パキスタンとの国境の街)の郊外の農村では、一族の窯があり、何日かに一度、親戚中の分をまとめて焼いていました。
子供たちが総出で楽しそうに手伝っていました。街角のナン屋さんも旅人には興味津々、皆さん、いつも釜の中まで覗き込んでしまいます。

もちろん焼き立てを買って、熱々をほおばります。けしの実、ゴマ、松の実とお店によって混ぜ込んであるものが違うのも楽しみです。(1元か2元(15円か30円))
ご当地のシシカバブや辛めのトマトス―プが、よく合いますが、ご馳走の次の日はナンと甘い葡萄やハミウリでも満足、満足で、キャラバン隊になった気分です。ナンは腐らないので、砂漠の舟とも呼ばれる駱駝に何ヶ月分も積んで、灼熱砂漠をものともせず、西を目指したといいます。 (明日に続く)


 

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